空崎ヒナと無糖のコーヒー 後編

空崎ヒナと無糖のコーヒー 後編


目次  前編


「……ヤベェ、ゲヘナの風紀委員長だ!」

 

「何? 構うことはねぇ、やっちまえ!」

 

「邪魔」

 

「ぐわあぁあああっ」

 

「マシンガンの掃射で一掃だと? 人の心は無いのか!」

 

「暴れてるあなた達がそれ言う?」

 

情報部を退部した空崎ヒナは、風紀委員になっていた。

一から体を鍛えなおし、忠実に職務にあたる模範的な風紀委員だ。

今まで使用していたハンドガンをマシンガンに持ち替えたのは誰かの入れ知恵だろう。

口さがない者たちは『腕が悪いから質より量に頼るようになった』『前に出るのが怖いから後ろに逃げたのだ』と噂する者もいた。

しかしメキメキと頭角を現すにつれ、そんな噂は自然消滅し、いつしかヒナは風紀委員長となっていた。

 

『お疲れ様です。ヒナ委員長』

 

「困ったものね、エデン条約も近いのに。アコ、イオリの方は?」

 

『今連絡が来ました。あちらも無事片付いたようです』

 

「そう、なら帰還するわ」

 

『はい、お待ちしております』

 

途絶えた通信の後、ヒナははあ、とため息をつく。

エデン条約の詳細が周知されるにつれ、ゲヘナでは散発的な暴動が起きていた。

小規模なものから大規模なものまで様々。暴動の理由もまた同様に様々。

曰く、トリニティのお高くとまったやつらと仲良くなんてできるか。

曰く、平和条約だなんて綺麗事、信じられるわけがない。

ゲヘナとトリニティの長く続く因縁を鑑みると、そういう意見が出ることは当然予想されてしかるべき事態だ。

だが予想できたからといって、全部思い通りに処理できるわけではない。

おかげで風紀委員会は取り締まりに東奔西走するはめになった。

風紀委員は数はいるものの、相手はヒナたちの威光をしってもなお『そんなの関係ねえ!』 と犯罪を実行する者たちだ。

真面目な人間が多い分、突き抜けた思考回路を持つ者と相対すると一歩及ばず裏をかかれることもままある。

十分な実力を持ち、現場で臨機応変に指揮も取れるとなると、イオリやチナツ以外には任せられるものがいない。

結果、委員長であるヒナまで駆り出される事態になっていた。

 

「はあ、めんどくさい……」

 

道端の自販機で黄色い缶コーヒーを買う。

砂糖と練乳が多く入った、昔からあるやつだ。

チビチビと舐めて脳内に糖分を補給しながら帰路につく。

この後は書類作業がまだ残っているのだ。

 

「あ、お帰りなさいヒナ委員長」

 

「ただいま、アコ。状況を説明して」

 

「イオリの方はハイランダーの乗務員が少し暴れたみたいですが、今はもう鎮圧済みで次の場所に向かってもらっています」

 

「そう」

 

アコから渡された書類によると、逃げ出したスケバンが停車中のハイランダー鉄道学園の列車に乗り込んだらしい。

追い掛けて乗り込んだイオリからすれば、動いていない列車の中なのだから、相手は逃げ場を自ら封じたようなもの。

ハイジャックされる前に数で押して、素早く抑え込もうとしたのは理解できる。

だがここでトラブルが発生した。

初めから逃げ出す算段を立てていたスケバンは乗車券を持っていて、追い掛けるイオリたちはわざわざ買う暇などなかったからだ。

つまり乗車券を持たずに乗り込んだことで、ハイランダーの乗務員がキレた。

 

『乗車券を持っていないって……ふざけているのか? ワケってなんだ? もしかしてアレか? どうせゲヘナから出ている列車なんてまともなものじゃないだろうって? うるさい乗客ばかりだから乗務員の目をごまかせるとか……! 自分たちは風紀委員だからついでの無賃乗車くらい許されると思ったんだろ……? 言い訳なんてもう分かってんだよ! どうせ無法地帯だろうなんて考えで……白昼堂々、無賃乗車しようってんだろ!!』

「……頭が痛い」

 

結局、暴れたハイランダー乗務員もろとも鎮圧することになったようだ。

幸か不幸かまだ発車前だったので、後から入場券だけの支払いで手打ちになったらしい。

やさぐれた乗務員には奇妙な親近感を覚えるヒナだった。

 

「被害報告や嘆願書の方はどうなってる?」

 

「美食研究会が物産展を爆破していますね。なんでも『エデン条約まんじゅう』と銘打って売り出していたのに専用の焼き印が入っていなかったようです。他のまんじゅうと同じラインで製造して、パッケージだけ変えたやつだったみたいですね」

 

「くだらない……そのことは後で処理するわ。他には?」

 

「『我々はいたって健全な部活動をしているだけなのに、ヴァルキューレが止めろと文句を言ってくる』だそうです。こちらは温泉開発部からですね」

 

「無視して。どうせうちとヴァルキューレをかち合わせて、その隙にまた別の場所で開発始めるつもりでしょ」

 

「ではそのように。あと万魔殿から『イブキが一緒にお昼寝してくれない』『イブキがプリンを分けてくれない』『催眠術に使う5円玉を無くした』などの連絡が来ていますが?」

 

「またマコトが先にイブキのプリンを食べて嫌われただけじゃないの? 便利屋にでも頼みなさいよ……無視して」

 

頭が痛くなることばかりだ。

先程補充したばかりなのに、糖分が欲しくなってくる。

アコが入れてくれたコーヒーに砂糖を適当に放り込んで飲み、ヒナは面倒な書類を片付け始めた。

自分で砂糖を入れたはずなのに、コーヒーのベタついた甘さが、嫌に気になった。

 

―――――――――――――――――――――――

 

エデン条約の調印式当日、ヒナはアコと共に車に乗っていた。

万魔殿は飛行船で優雅に参加する代わりに、これに乗れと貸し出されたものだ。

何やら細工でも仕掛けられているかと調べたが、特にそのようなものも見当たらず、ありがたく借り受けることとなった。

 

「……」

 

自動運転で走る車の後部座席に座り、ヒナは頬杖をついて窓から外を眺める。

これからエデン条約が締結される。

長く続いた因縁に決着をつけ、新しい日が始まる。

素晴らしいことだ。

万魔殿のマコトにもこれで枷が嵌められ、以前のように自由に出来なくなるだろう。

あのマコトが自ら不利になるような条約を締結しようとするなど、どう考えてもおかしいのだが。

 

「それでも……」

 

それでも、これは平和条約だ。

出し抜く方法があったとしても、それは直接的なものではなくなるはず。

書類仕事は増えるかもしれないが、武力を伴う荒事は減るに違いない。

ならば、風紀委員長の座は……

 

「私である必要もない、か」

 

「はい? どうかされましたか、ヒナ委員長?」

 

「何でもない……アコ、条約が締結されたら撃つことも減ると思うけど、銃の腕は落ちてないでしょうね?」

 

「え、銃ですか? 訓練はしてますけど……」

 

ただでさえ裏方で撃つ機会など少ないのだから、腕前は落ちていく一方だろう。

風紀委員としては全員戦えることが望ましい。

アコが手元の端末で表示した記録は、満点とはいかないものの十分高得点だった。

 

「もし私が前線に出たとしたなら、ヒナ委員長の出番なんてないくらいに活躍してみせますよ。この銃に懸けて!」

 

「そう。それだけ言うのなら、私も楽できそうね」

 

腰に備えたハンドガンを撫でて豪語するアコに、ヒナもそれなら良いと納得する。

楽ができる。それなら風紀委員長も引退できる。

引退したのなら、アビドスへも行ける。

 

〈楽になれたなら、過去と向き合わないと……〉

 

シャーレの先生が着任して間もない頃、アコが暴走して風紀委員を率いてアビドスに攻め込んだことがあった。

その場で頭を下げて謝罪はしたものの、アビドスでの風紀委員会への心象は最悪だ。

風紀委員長の身では気軽にアビドスに行くことは出来なくなっていた。

何をしに来たのかと無駄に警戒させるだけである。

 

〈あと少しの我慢。身軽になったのなら、せめてお墓に参るくらいは……〉

 

物思いに耽るヒナを乗せて、車は進んで行く。

そしてそんなヒナの思いを吹き飛ばすように、巡航ミサイルが降り注いだ。

 

――――――――――――――――――――――

 

エデン条約締結失敗

虚妄のサンクトゥムタワー攻略作戦。

七神リンの更迭に、不知火カヤのクーデター騒動。

 

めまぐるしく変わる状況に、風紀委員会も前以上に忙しく過ごす日々が続いた。

 

 

「美食研究会が新鮮な海の幸目当てに、フウカさんをまた攫って行ったそうです」

 

「海まで? なら給食部の方はどうなっているの?」

 

「それが……どうやら最近利用者が減ったらしく、作り置きと缶詰などが残っているので問題というほどのことは起きていないようですね」

 

「珍しい……追いかけようと思ったけど、それならフウカには休暇のつもりで羽を伸ばしてもらうわ」

 

普段からフウカ含む給食部には風紀委員会ともども世話になっている。

彼女たちがいなければ、空腹を理由に暴れるものも出てくるだろう。

数千人の胃袋を満たし、暴れるのを未然に防ぐことができている事には頭が上がらない。

美食研究会は許すつもりもないが、あれでフウカとハルナの間には腐れ縁があるらしい。

ならそこまで無体なことはしないと判断し、次の書類に目を通す。

 

「次は商店街からですね。最近温泉開発部の姿が無くて逆に怖い、だそうです」

 

「あのうるさいのが? それは変。周辺の聞き込みをして足取りを追って」

 

「わかりました。あと万魔殿から『イブキがプリンを分けてくれない』『イブキがお菓子を食べてばかりで構ってくれない』『イブキが欲しがっているスイーツ店の行列が長くて迷惑だから散らせ』と来ています」

 

「はあ……イブキに虫歯にならないように歯を磨いてから寝るように言って。あとは無視して」

 

相変わらず万魔殿は通常営業のようだ。

飛行船ごと爆破されて墜落したのにも関わらず、頭がアフロになっただけで済む当たりは筋金入りの頑丈さと認識してはいたが、マコトの意識を変えることは無かったらしい。

 

「――? あ、はい。わかりました」

 

「どうかした?」

 

「どうやらレストラン街で爆破騒ぎのようです。なんでも不味い料理を出したとか」

 

「? 美食研究会は海に行ってるんでしょ?」

 

「どうやら別件ですね……にしてもおかしいですね。爆破されたのは老舗の和菓子店で私も食べたことがありますけど、特に味に問題はなかったように思いますが……」

 

「すぐに動けるのは?」

 

「イオリは離れた場所で戦闘中、チナツはトリニティとの堺で検問です」

 

「埒が明かない。私が出る」

 

「はい、いってらっしゃいませ」

 

――――――――――――――――――――――――――

 

そうして遅くまで掛かって仕事を終え、帰宅する。

家にたどり着いて、ヒナは手元の弁当を開ける。

今日の朝に作った弁当だ。

忙しさのあまり食べる余裕もなく、こうして夕食に回すことになっていた。

 

「いただきます……」

 

正直に言って、あまり空腹を感じていない。

だが食べなければ仕事にならない。

モソモソと仕方なくおかずを口に放り込む。

 

「おいしくない……」

 

味は悪くないはずだ、自分で作った弁当なのだから。

自分好みの味付けで作っているはずなのに、とてもおいしいとは感じられなかった。

ポタリ、と弁当の上に涙が落ちる。

 

「わたし、なにやってるんだろ……」

 

朝起きて、昼食の弁当を作って、でも食べる暇なんてなくて、砂糖をぶち込んだコーヒーで無理やりごまかして、見境なく暴れる馬鹿どもを鎮圧して、戻ったら山と積まれた書類を片付けて、家に帰って食べられなかった弁当を食べる。

わびしい生活だ。

無駄に独り言も増えた。

やることは尽きず、密度の高い一日が続いている。

外から見れば、そこにやりがいがあると表現する者もいるかもしれない。

 

「これでいいのかな……」

 

でもこんな生活が、私が目指していた強さだっただろうか?

かつてヒナが目指した強さとは、空に輝く星の光のような眩しさか、あるいは悠然と空を翔ける隼のような自由さではなかったか?

 

「小鳥遊ホシノのようにはなれない。どこまでいっても、けっきょくわたしは雛のまま、か」

 

食べたくもない仕事という餌を限界を超えて与えられて肥え太り、飛ぶこともできずに墜落して死ぬのがお似合いなのだろう。

心の歯車がギリギリと音を立てて軋むのを感じた。

 

「う、ううう……」

 

好きだったコーヒーも、いつから味も気にせず砂糖を入れるようになったのだろう?

涙が零れるのを拭うこともできず、ヒナは味もしない弁当を無理やり嚥下して、泥のように眠った。

 

……。

 

…………。

 

………………。

 

「ヒナ委員長、大丈夫ですか?」

 

「――はっ?」

 

アコの呼びかけに、ぼんやりとした意識が覚醒する。

そうだ今は書類作業の真っただ中だった、と手元を見て思い出す。

 

「え、ええ。大丈夫。どうかした?」

 

「最近アビドスと開通した路線で、イオリからハイランダーがまた暴れたって報告が来たんですけど、様子が変なんです」

 

「変? 変なのはいつものことだと思うけど……」

 

アコの差し出した書類を一瞥し、ヒナは眉を顰める。

そこに載っていたハイランダー乗務員の証言は、理解に時間を要するようなものだった。

 

『あのお方を知らないって……ふざけているのか? ワケってなんだ? もしかしてアレか? どうせアビドスから出ている列車なんて砂しか載せてないだろうって? 今までアビドスなんて田舎だったから乗務員の目をごまかせるとか……! 知らないくらい許されると思ったんだろ……? 言い訳なんてもう分かってんだよ! どうせ無法地帯だろうなんて考えで……白昼堂々、あのお方に逆らおうってんだろ!!』

 

「何これ、怪文書?」

 

「そのようですねぇ」

 

「あのお方って誰? 変な宗教でも流行っているの? 頭が痛いわ……」

 

「心中お察しします」

 

最近はこんなことばかりだ。

今まで暴れていたものが暴れなくなり、何もなかったのに突如として暴れ始める。

あの空が赤く染まった日、おかしくなる怪光線でも出ていたのかと疑いたくなるくらいだ。

救急医学部も怪我人が絶えないと愚痴をこぼしていた。

 

「ふぅ、大丈夫……まだ大丈夫」

 

「あ、あのヒナ委員長? さすがにお疲れのようですから、今日の所はお帰りになられた方が――」

 

「大丈夫だって言ってるでしょ!」

 

「へ?」

 

「物分かりが悪い。私が大丈夫だといったら大丈夫なの。それに今帰ってどうなるというの? この決済待ちの書類の山は増えることはあっても減ることはないのよ? アコもチナツもイオリもヒナ委員長ヒナ委員長ヒナ委員長ってバカの一つ覚えみたいに繰り返して! だから教えてあげる、大丈夫だから大丈夫なの。私は風紀委員長なんだからこれくらいできて当然。くだらないこと言ってる暇があったら書類の一枚でも早く終わらせなさいよ!」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

突如として激発するヒナに、思わず謝るしかないアコだった。

ここまで声を荒げるヒナなど、アコは見たことがない。

先程から大丈夫大丈夫とブツブツ繰り返しているヒナに、ここまで追い込んでしまったのか、と自嘲する。

 

今の風紀委員がバラバラにならずに済んでいるのは、ヒナというトップがいるからだ。

人数という面では同じくらいだが、ゲヘナはトリニティと比べて層が薄い

個人の自由を求める気風が強く、一つに纏まりにくいのだ。

ゲヘナと比較してではあるが、その点トリニティは潤沢な予算を抱えており、正義実現委員会は幹部教育も熱心だ。

委員長のツルギ、副委員長のハスミのツートップで回しており、その下にはマシロ、イチカという部隊長の次代も育ってきている。

 

対してゲヘナは訓練こそすれど実戦主義がメインだ。

現場で鍛えられた生え抜きの能力と、その知名度を顔として幹部になる。

そのせいか感覚的な人間が多く、理論的に強さを説明できない者もいる。

個々人の技量で劣ることはないが、育成能力ではトリニティにやはり軍配が上がるだろう。

例えその正実が動けない場合でも、指揮権から独立した自警団が即応できるようになっているのだ。

 

ヒナに頼り切りだったそのツケが、莫大な負債となって破裂しそうになっていることを今更ながらにアコは認識した。

これではいけないと考えて、手元にとっておきの切り札があったと思い出した。

 

「分かりました、もう言いません……でもヒナ委員長、せめて一服するくらいは良いのではないでしょうか? 何も摂らないというのも、能率がさがってしまいますし」

 

「一服……そう、そうね。それくらいなら……」

 

「それで……ですね。実は最近まことしやかに流れている噂ですが、新製品のとても美味しい砂糖が発売されたようなんです」

 

「……砂糖?」

 

「私も方々手を尽くしまして、ようやく手に入れたんです。ヒナ委員長もお疲れみたいですし、良かったらどうかと思いまして。コーヒーに砂糖入れるの、お好きでしたよね?」

 

「……ならお願い」

 

糖分さえ摂れればよくて、砂糖の味なんて気にしたことはなかった。

でもそういえばアコの前では砂糖を入れたコーヒーばかり飲んでいた気がする。

そのアコがそこまで言うのなら、とヒナは許可を出した。

 

「はい、できました。砂糖だけだと胃に悪いので、ミルクも入れておきました。足りないなら仰ってください」

 

「ありがと、気が利くわね」

 

「これでも行政官ですから」

 

胸を張るアコに、そういうものか、とぼんやりヒナは出されたコーヒーを見つめる。

添えられたスティックシュガーの『Abydos Sugar』というロゴは初めて見る物だ。

アコはさも貴重そうに言っていたが、たかが砂糖が変わったところでメインはコーヒーなのだから、何が変わるわけでもあるまい。

 

〈さっさと飲み干して仕事に掛からないと……アコには適当においしかったと言えばいいか〉

 

こちらの様子を伺っているアコに、見ていないで仕事しろと言いたくなるが、折角淹れてくれたコーヒーだ。

無下に扱うのも気が引ける。

言われた通り、気持ちを切り替えるつもりで飲んでさっさと仕事を再開しよう。

そう思いなおして、ヒナは【砂糖】入りのコーヒーを飲んだ。

 

……。

 

…………。

 

………………うふふ。

 

甲高い少女の笑い声が聞こえる。

 

あははははははははは。

 

どこか聞き覚えのある声で、それでいて記憶と合致しない声がヒナに囁く。

 

きゃははははははははははは。

 

とても楽しげに、まるで何も不安などないかのように、終わらない笑い声を響かせる。

 

「あははははは! ……ああ、おいしい」

 

その笑い声が自身の喉から出ていることに気付いた瞬間、狭苦しかったヒナの視界が広く開けた。

何も我慢なんてする必要はなかった。

心の赴くままに行動すればよかった。

狭い狭い鳥籠を破壊して、今こそ雛が飛び立つ時が来たのだ。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「……あ、ヒナちゃん。おつかれ~」

「ええ、ホシノもお疲れ様。ハナコはどうしたの?」

「ボイスの収録でリテイクくらってる。熱心なファンがいるみたいなんだよね」

「ああ、ハナコの台本ハートマークだらけだものね」

「現場にいたミレニアムの子も『魔女め!💢お前の本気はこんなもんじゃないはずだ!💢』って言いながら発破掛けてたからね。あとサインももらってた」

「愛憎入り混じってるのが伝聞でも分かる……はい、コーヒー」

「お、ありがと~。ちょうど喉乾いてたんだよねぇ。ズズッ……うへぇ、苦い~。」

「砂糖入れようとすると周囲が警戒するのよね。もうあの【砂糖】も【塩】もないのに」

「なら仕方ないかぁ。やったことがやったことだし、相当暴れたからね。みんなの反応が正しいよ。ズズッ、うへぇ」

「はい、ミルク」

「お、気が利くじゃん、ありがと~。いやあ、味覚戻ってきたのは良いんだけど、逆に鋭敏過ぎてきついんだよね、辛いのとか無理~」

「見た目通りの子供舌ね」

「これでもヒナちゃんよりはちょっと背が高いんだけど、まあ誤差か。ヒナちゃんはブラックコーヒー大丈夫?」

「私は飲みなれているから」

「おお~大人のレディだ、いよっ、クールビューティー!」

「ふふ~ん」

 

 

「そういえば髪、整えてもらったのね」

「うん、ミヤコちゃんにね。いやぁ、首元が冷や冷やしたよ。『お命頂戴』ってされること覚悟してたもん」

「それが分かっていて、ミヤコに頼めるのは神経が太いわね」

「おじさんの人徳ってやつかねぇ、ミヤコちゃんも『………………わかり、ました』って快諾してくれたもん」

「葛藤が見えるわね。そういえば髪は短くしたのに、最初に会った時みたいな口調には戻さないの?」

「最初……一年のとき会ってるんだっけ、私たち?」

「どうせ覚えてないんでしょう?」

「うぐぐ、ヒナちゃんと会ったこと忘れるなんて、おじさんの記憶力の悪さを痛感する……」

「そのことはもういいわ、で、どうなの?」

「ああ、口調だっけ。それがもう長いことこの話し方だからねぇ、これも染みついちゃったよ。おじさん最高学年だし、年下にまで敬語使い始めたら逆にみんな心配しちゃうしね」

「じゃああの頃を知っているのは私だけになるのかしら?」

「そうなるかな、ヒナちゃんおじさんのこと好きすぎぃ」

「そうね、好きよ」

「うへぇ!?」

「私はね、最初はホシノの強さへの憧れだけだった。こてんぱんにされてからずっと負けたくない、見返してやるって気持ちが心のどこかにあった。でもそのうちユメ先輩と2人で仲良くする姿に『どうしてそこに私はいないの?』って思ったりもした。二人はアビドスで、私はゲヘナ。できるはずがないのにね」

「……できるはずない、か……うん、昔だったらそう言ってたかも」

「でも嫉妬や羨望って名前の感情が生まれて、育ち切るよりも前に彼女はいなくなってしまった。それで私の感情は行き場を無くして、どうして良いのか分からなくなって逃げ出した。ホシノ、貴女が私を覚えていないのも仕方ないの。昔の私はただの路傍の石ころだった」

「……」

「あの時、心の羽が折れてしまった。そんな自分を何とかしたくて風紀委員会に入って、がむしゃらに頑張ってたらいつの間にか風紀委員長になってた。でも地位が上がっても我慢が増えてがんじがらめになるばかりで、いつしか何を求めていたのかさえ分からなくなった」

「そうだったんだ」

「いつまで経っても私は雛のままで、飛ぶことができずに藻掻くだけだった。……そんな私が全部投げ出してアビドスに辿り着いた。それで『私も仲間に入れて』って言って『いいよ、ようこそ』ってアビドスは迎え入れてくれた。それが嬉しかった。とてもとても嬉しかった。だからホシノも、ハナコも、アビドスに集まったみんなが大好き」

「……重い! 重いよヒナちゃん!」

「重い女は嫌い?」

「大好きだよぉ!」

「ならなんの問題もないわね」

「うへ……ヒナちゃんさぁ、距離感バグってない?」

「今更よ。砂糖でトリップしていた時に、2人まとめてハナコに体洗ってもらったりしていたのよ? 夜一緒に寝たりもしたし、私たちの間で何か隠すことがあるかしら?」

「そ、そういわれると何も返せない。うぐぐ……」

「ねぇホシノ、羽の折れた私だけど、貴女となら飛べると信じているの」

「……比翼の鳥かぁ。中々詩的だね」

「ダメ?」

「ダメじゃない。私たちはもう一蓮托生だから。あ、でもハナコちゃんも一緒に入れてあげないと、あの子また拗ねちゃうし」

「ああ……トリニティ生の羽をもぎ取って自分に付けようとしたのは流石に引いたわね」

「まあまあ、自分だけ年下だから頑張って背伸びしてるの。そこがいじらしくて可愛いんだよ、うちのお姫様は」

「ホシノ、そういうところよ」

「そういうところ!? なにが!?」

 

 

「あ~段々と思い出してきた。ヒナちゃんさ、あの頃はハンドガン使ってたじゃん、なに、宗旨替えしたの?」

「情報部がマシンガンやライフルなんて目立つもの持ち歩けるわけないじゃない。支給品よ。まあ自分なりに改造と調整はしていたけど」

「ふ~ん、でも今はマシンガンなんだ?」

「誰かさんのアドバイスのおかげでね。その方が強いもの。ハンドガンは行政官の就任祝いにアコにあげたわ。……まあその銃で最後沈められたわけだけど。飼い犬に手を嚙まれるとはこの事よ」

「わぁお、因果応報ってやつかねぇ。でもそれにしては嬉しそうだね?」

「情けは人の為ならず、が正しいのかも。ゲヘナを離れてアビドスに付いたことの後悔は私にはないけれど、それでも引継ぎもせずに飛び出して迷惑をかけたのは事実。止めてくれたことには感謝しているもの」

「それ本人に言ってあげなよ」

「言えないわ、恥ずかしいもの」

「さっきあんなに情熱的な告白してきたくせに?」

「それはそれ、これはこれよ」

「……」

「……」

「”……”」

「……先生? いつからそこに?」

「”(*´ω`*)”」

「親指をグッと立てて……あ、逃げた! 追うよホシノ!」

「ええ~おじさんも~!?」

「私たちは比翼の鳥、なら私の恥はホシノの恥」

「うへぇ、ヒナちゃんずいぶん図々しくなったね」

「今更我慢も遠慮もいらないでしょ」

「それもそうだねぇ。んじゃ、ハナコちゃんも呼んで先回りしてもらおう」

「”( ゚Д゚)!?”」

「逃げる先生の捕縛が、シャーレ所属カルテルトリオの荒事一発目になるとはねぇ」

「その呼び方もこれから使えなくなるのよね。新しい呼び方を考えないと……三魔人とかどう?」

「うへ、ヒナちゃん、ネーミングセンス」

「だめかしら? いいと思ったのだけど」

「いやあうん、それについてはハナコちゃんも交えて話そう。おじさんたちだけで決めるの良くない」

「それもそうね」

 

 

 

「“_(:3 」∠ )_”」

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